ディストピアSFの先駆者ピョトル・シュルキン監督の作品が解禁された
上映されるのは、「ゴーレム」(1979)、「宇宙戦争 次の世紀」(1981)、「オビ、オバ 文明の終わり」(1985)、「ガガ 英雄たちに栄光あれ」(1986)の4作品。
見てみたい。
〇宇宙戦争 次の世紀
腐敗した権力と官僚制のもとで生きる人間の悲惨な姿を描いているらしい
これはともすれば、高市政権が実現しなければ日本のたどっていた道なのかもしれないと感じさせるではないか。
実際の1980年前後のポーランドはポーランド人民強国という共産主義国家、つまり中国と同じような一党独裁の国家だった。(1989年にこの体制は崩壊し、現在はポーランド共和国となって現在(2025年)に至る。)
余談だが、2000年ごろにインターネットで使えるコミュニケーションツールを使って外国人と会話する事を面白がっていたわたくしはポーランド人の20代の女性とつたない英語で話したことがある。
今考えてみれば、民主化してから10年ほどしかたっていない時期であったのだ。にもかかわらず彼女らはインターネットというツールを使いこなして外国とコミュニケーションしようという気持ちを持っていたのだなと思うと、なにか胸に響くものがある。
当時を思い起こせば彼女たちの話し声は明るくはなかったが、しきりにヘッドホンにKISSの音が聞こえていた。日本人がめずらしかったのか それとも当時隆盛を誇っていた日本という国に何かしらの憧れの様な思いを抱いていたのか、今となっては知る由もないが、会話は楽しかったことを覚えている。
話を戻すが、日本の政治はほんとに好まざるというより忌避すべき状況となっていて、まさに官僚主義政治に向かってまっしぐらな感さえあった。
官僚主義、共産主義、こういう国民を苦しめる淘汰されるべき政治体制が歴史上ではっきりしているのに日本の官僚や政治家どもは愚かな道を猛進していたのである。
してみるに、やはり学歴至上主義は害悪であると断じざるを得ない。学歴が良い人間というのは優秀なのであろうが、そやつらが政治の世界に一歩足を踏み入れれば選民主義者に堕ちるという事なのだろう。
勉強しかできない、そしてそれをランク付けするための目安にする現代社会とそこに生きる人々は、勉強ができる=エリート=選ばれた人間=支配者=我こそは正義である・・・・という誤解と勘違いという臭くてどろどろの溜池にどっぷりと浸かってしまって、己の悪臭や薄汚れた姿に気が付かないのであろう。
難にしても歴史に学ぶことはたくさんあるのだ。同じ過ちを繰り返すのは愚の骨頂なのに、それに気づけないのはやはり歴史を学んでいないからだ。
数学や外国語と同じぐらい歴史の勉強もするべきである。それもただ年号を暗記するだけの勉強ではなく、歴史上で起こった事を列記するだけでなく、そこにどんな人間模様があって、そこにいた人々が何を考えて、どんな人々によって悲劇が起こったのかを、隠すことなく学ぶべきだと思う。
260年続いた江戸時代という時代は知っていても、260年の間徳川家によって営まれた戦争のない時代がどれだけ貴重で有るかなどを義務教育で学ぶべきなのである。
(平和であったかもしれないが差別があったし、身分制度や飢餓に苦しんだ人々はいたという真っ当なことを言う向きもあろうがそういう話はまた別の機会に。)
数値化することが簡単な記号の組み合わせで成り立つお勉強など生きる上で退屈極まりないに決まっているのだ。
世界は広い。そして掘れば信じられないほど深い。そして人間という生き物の面白さをこれでもかというほどに教えてくれるのが歴史なのだ。そして歴史ほど気まぐれで偶然による転換が起こる不可思議な現象にも事欠かないのである。
さあまず手始めにこんな本を読んでみてはいかがだろう。
ローマ帝国滅亡後、動乱のさなかのイタリア半島にあって、フン帝国の脅威にさらされながらも勃興し、ライバル国家ジェノバと海上で争いながらも競演し、オスマントルコとの綱渡りにも似た外交を繰り広げ、芸術にそして文学に花開き、権勢を誇ったキリスト教会にもひれ伏すこともなく、果敢にオスマントルコと互角に渡り合い戦い続けたが、最後にはあのクソッタレナポ公によって滅ぼされてしまった一千年もの長きにわたり、自由と独立を守り続けたヴェネツィア共和国の物語である。
この本を読み終えて私はナポレオンが大嫌いになった。
歴史は学ぶものだが楽しむものでもあることを教えてくれたのがこの6冊である。
くたばれなナポレオン!

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